母のひとり歩きとドアロック設置の決断
母の認知症に気づいてから数年が経った頃、夜中に家を抜け出すことが始まりました。最初は家の周りを少し歩くだけでしたが、次第に行動範囲は広がり、ある冬の未明、パジャマ姿のまま遠く離れた場所で警察に保護されたという電話を受けた時は、心臓が凍りつく思いでした。このままではいつか取り返しのつかないことになる。そう分かってはいても、玄関に内鍵を付けるという決断には、長い葛藤がありました。母の自由を奪い、まるで牢屋に閉じ込めるような行為ではないか。そんな罪悪感が、私の心を重く締め付けていました。しかし、眠れない夜が続き、私も心身の限界を感じていました。兄妹と何度も話し合い、私たちはついにドアロックの設置を決めました。取り付けたのは、普段は使わないドアの上部で、母の視界には入りにくい場所にある補助錠です。その日の夜、私は久しぶりに朝までぐっすりと眠ることができました。夜中に物音がしても、母が家の中にいるという安心感が、何物にも代えがたい休息を与えてくれたのです。もちろん、鍵をかけたからといって全てが解決したわけではありません。朝、何も知らずに玄関のドアを開けようとして、開かないことに戸惑う母の姿を見るたびに、胸の奥がちくりと痛みます。それでも、あの凍えるような夜の電話を思い出すたびに、私たちの決断は間違っていなかったのだと自分に言い聞かせています。これは、母の尊厳を奪うためではなく、母の命を守るための選択なのだと。介護とは、このように割り切れない思いを抱えながら、その時々で最善を信じて進んでいくことなのかもしれないと、静かな玄関を見るたびに思うのです。